Blog

私がイタリアの複葉機に魅かれた理由 (1)

―フェリーチェ・リモザーニ―

13 DEC 2018

先日のTBS「世界ふしぎ発見!『日本Xイタリア 天空浪漫飛行』」でご紹介くださったように、私は、1920年(大正9年)にローマ東京間飛行の偉業を成し遂げたイタリア人パイロット、アルトゥーロ・フェラリンの「世界への飛行」を日本語に訳し、当時の日本とイタリアの双方に残る史料を調査・研究し、日本で複葉機再現プロジェクトの広報活動を行ってきました。

そもそも、イタリアのフィレンツェに30年来住んでいる絵描きが、なぜ畑違いの飛行機の歴史に興味をもつことになったのか?
という、理由について、これまでの経過を振り返り、プロジェクトのこれからを考えるために、書いてみたいと思います。お付き合いいただけたら幸いです。


きっかけは、フィレンツェのチェントロ(中心部)にスタジオを構えている友人のアーティスト、フェリーチェ・リモザーニ氏から、イタリアの複葉機の再現プロジェクトに取り組んでいる人たちのことを日本に紹介して、日本との橋渡しをしてほしいと持ちかけられたことにはじまります。

忘れもしない2014年の初夏のある日、私はフェリーチェ・リモザーニ氏から「話したいことがある。」との連絡を受け、彼のスタジオのすぐ近くにある、レプブリカ広場に面したサボイホテルの屋外にあるバールに会いに行きました。

フェリーチェ・リモザーニ氏はコンピュータグラフィックスを駆使した大掛かりなインスタレーション作品を制作している、文字通り世界を舞台に活躍している有名なアーティストです。 www.felicelimosani.com

彼は、何度も”La storia incredibile!”(信じられない話だろ!)を連発して、熱っぽく語りながら、タブレットから、100年前のローマ東京間飛行の複葉機の写真や、宮崎駿監督の映画「紅の豚」で、主人公を助けるフェラリン少佐のモデルになったと言いながら、ハンサムでカッコいいアルトゥーロ・フェラリン中尉の写真を見せてくれました。

全てが初めて聞くことばかりで、早い口調でまくしたてる彼に圧倒され、あっという間に、私は約100年前の航空機黎明期の時代のパイオニア達の話に引き込まれてしまいました。

ライト兄弟の史上初の飛行成功からわずか17年後の1920年(大正9年)、ローマから東京まで3カ月かけて約18,000キロの距離を飛んできたイタリアの複葉機があったという歴史、すなわち空飛ぶ機械を見たことがない人々が大部分の時代に、若いイタリア人パイロット達が命懸けで日本を目指して飛んで来たという事実に感動しました。

その驚くべき飛行を成功させたアルトゥーロ・フェラリンは当時の日本人達から国を挙げて約40日間にわたり大歓迎を受け、天皇陛下から、名誉な「サムライ」の称号を受け、日本刀をプレゼントされた、と教えてくれました。(これは正確な史実ではありませんが、イタリアではこれが通説になっています)

それだけでも、充分に驚きましたが、なんと、その複葉機を当時と全く同じように鉄と木と布で再現して、100年後の2020年に東京からローマに帰還飛行をするというプロジェクトをすすめている自家用飛行機愛好家が北イタリアにいるという話に、私はさらにびっくりしました。

その飛行機愛好家というのが、長年にわたり彼の作品のコラボをしているアクリル工場経営者ジョルジョ・ボナート氏(Giorgio Bonato)でした。

実はリモザーニ氏も、ボナート氏と長年コラボをしていたにもかかわらず、彼の飛行機に対する情熱や、100年前の日本と関連の深い複葉機を再製作するプロジェクトについては、つい最近まで知らなかったという事で、ボナート氏は日本との接触を全く持っていないので、リモザーニ氏は私を思い出し、何とかできないだろうか? と、私に話を持ち込んできたのでした。

フェリーチェ・リモザーニ氏の、一流のアーティストだけが持っているオーラとインパクトある完璧なプレゼンテーションの話術で、すでに未来のプロジェクトのあるべき姿はすべて言い尽くされていて、私は一挙にこのプロジェクトに魅せられてしまったのです。

先日放送されたTBS「世界ふしぎ発見!」で、黒柳徹子さんと、草野仁さんが番組の最後に、

「イタリアのかたがね、日本に行ってみようと、とにかくお思いになった。世界中に国がいっぱいあるのに。とっても嬉しいですよね !」「改めて日本とイタリアの友好の絆を再確認して、さらに発展させていきたいな、と思います。」

と言って番組を締めくくっておられましたが、私がリモザーニ氏から話を聞いたときに感じたことも、まさにそれでした。

約100年前の若きイタリア人パイロット達が、命の危険を顧みず(実際に墜落して命を落としたパイロットもいた)、困難と闘いながら、未知の国日本を目指して飛んできてくれたという事実と、今またその複葉機を再現して日本から飛ばそうとしているイタリア人たちの存在は、とりわけ、その3年前に起きた東日本大震災の記憶で、なにかにつけて気持ちがくじけそうになっていた私にとって、イタリア人から日本人に対して差し伸べられた、夢とロマンの交じった励ましの手のように感じられて、嬉しい気持ちになったのです。

この複葉機再現プロジェクトは、現代の日本とイタリアの多くの人達に賛同してもらえる、とても有意義で価値のあるプロジェクトになるのではないだろうか、とその時、直感しました。

私がイタリアの複葉機に魅かれた理由 (2)


戻る