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私がイタリアの複葉機に魅かれた理由 (3)

―2017年以降とこれから―

19 DEC 2018

私は、ジョルジョ・ボナート氏と「文化協会 第87ズヴァ航空部隊」のメンバーに出会ってからというもの、フェラリンの100年前の「ローマ東京間飛行」の偉業と「複葉機再現プロジェクト」を皆に知ってもらいたくて、日本に帰国するたびに、手あたり次第会う人ごとに話をしはじめました。

私のイタリアの複葉機に魅かれる理由とプロジェクトに対する熱の入れようは、「なぜ?」と家族も友人たちも疑問に思うほどですが、「なぜ?」という質問に対する根本の「答え」は、いまだに自分でも見つかっていません。

さて、2014年12月には宮崎駿氏にプロジェクトを知っていただきたいと思い、お手紙を書き、資料を送りました。ちょうど映画「風立ちぬ」が封切られて間もない時で、宮崎氏はアメリカのアカデミー賞を受賞された時でした。日本に帰国している時にジブリの森美術館を訪問し、宮崎氏にお目にかかりたいと思いましたが、広報の方から「親しい人に会う寸暇も惜しんで、今は自分の絵を描くことに没頭しています。」という趣旨のお返事を頂き、残念ながら宮崎氏との面会はかないませんでした。

イタリアの伝統あるクラッシックカーレース、ミッレミッリアに毎年のように参加されイタリア車を愛しておられる堺正章さんは、夢とロマンのあるイタリア複葉機再現プロジェクトに賛同して応援して下さりました。その他、たくさんの応援して下さる方々のおかげで、2017年から少しずつ公の場でプロジェクトの告知をさせていただく機会が増えてきました。

2017年1月18日には、日本とイタリアの文化交流のために長年にわたり活発に活動を続けておられる「イタリア研究会」の第439回例会で、「複葉機の夢~アルトゥーロ・フェラリンを待ちながら」と題して、上野・東京文化会館4F大会議室で、講演をさせていただきました。

同年2月1日~7日には、日本橋三越 美術画廊で個展 (丸栄堂様のプロデュース)を開催させていただきましたが、イタリアの100年前の複葉機をテーマにして、展覧会のタイトルは「イタリアからの伝言」と名付けました。

GQJAPAN (鈴木正文編集長)は、2017年3月号で8ページにわたる特集記事 「100年後の浪漫飛行 アルトゥーロ・フェラリンを偲んで」を掲載して下さいました。

2017年7月11日付 産経新聞の、大正天皇の妃、貞明皇后(1884年-1951年)の生涯を描いた連載小説「朝けの空に」 (現在は書籍化され、「孤高の国母 貞明皇后」川瀬弘至著 産経新聞出版) に、私の歴史研究を引用して下さいました。

2018年5月31日には、朝のNHKニュース・情報番組>や6月6日NHK BS1の「国際報道2018」(金森誠プロデューサー)が取り上げてくださいました。

11月24日には、TBS 「世界ふしぎ発見!」(齋藤龍太プロデューサー)がこのプロジェクトを取り上げて、時間をかけて丁寧に紹介してくださいました。


以上のように、プロジェクトに興味を持ち共感し応援して下さる方々のお力添えのおかげで、昨年から今年にかけて日本のメディアが大きく取り上げてくださり、1920年(大正9年)のアルトゥーロ・フェラリンローマ東京間飛行と2020年の複葉機再現プロジェクトに対する認知度は、飛躍的に高まってきました。

しかし、4年前に私がフェラリンの「ローマ東京間飛行」と再現プロジェクトについて初めて知った時には、日本語版ウィキペディアにアルトゥーロ・フェラリンに関しての記述が全くなく(もちろんイタリア語版にはありましたが)、フェラリンは日本人にとって未知の存在であり、ジョルジョ・ボナート氏の再現複葉機は、個々のパーツが制作されていた段階で、まだ飛行機の形を成していなかったので、私が会う人ごとにアルトゥーロ・フェラリンやプロジェクトの話をしても、どちらかというと戸惑いや半信半疑の反応が大半だったのです。

ジョルジョ・ボナート氏の複葉機製作はここ一年間で飛躍的に進捗して軌道に乗ってきました。「世界ふしぎ発見!」の中で伝えられていたように、飛行可能な複葉機は、来年2019年の秋ごろに完成予定で、再現プロジェクトはこれからいよいよ本番を迎えます。

番組の終盤で、「なぜ、この計画を行おうと思ったのか?」というインタビューに対して、ボナート氏は、短く”Non lo so.” (わからない)と答えていて、「正直言うと、僕にもわからないんだ。」と吹き替えられていました。いかにも実直なジョルジョらしくて、私は思わず微笑んでしまいました。

「体の中から自然に生まれてきたものなんだよ。でも、これが僕の人生にとって一番大事なプロジェクトであることに間違いないさ。」(ジョルジョ・ボナート氏)

「フェラリンが命懸けで飛行したように、ジョルジョさんもすべてをかけて、この飛行機に魂を込めているんですね。」(依吹怜さん)

この二人のやり取りにジョルジョ・ボナート氏のすべてが言い尽くされているよう思いました。

ボナート氏の飛行機製作は、これまで決して順風満帆で進んできたわけではありません。約15年前、ボナート氏がフェラリンの複葉機 (アンサルド社ズヴァ式複葉機) を作ろうと思い立った時、まず、400枚に及ぶオリジナル設計図の収集から始めました。 アンサルド社は何度も解散や再編を繰り返しているので、収集するのはとても難しく、収集と解読の段階で、すでに非常にたくさんの時間と労力と費用がかかりました。

さらに機体や翼の材料となる木材や材料の調達のために、木材が豊富で伝統のある北ヨーロッパのあちこちに何度も足を運び、材料を吟味しました。 その他、これまで制作過程でクリアしていかなければいけない困難や課題が非常に多くあったであろうことは、私のような素人にも容易に想像がつきます。

ボナート氏は、「全体像をいっぺんに見れば困難が山のように立ちはだかっていて、私もくじけそうになりますが、アルトゥーロ・フェラリンが一つ一つの区間を順番に飛んで、困難を乗り越えたように、これまで私も一つ一つ順番に困難を乗り越えてきたし、これからもそうしてゆきます。」 と語っています。

人は、やむに已まれぬ気持ちで魂の底から何かに突き動かされるような形で行動するとき、そのポジティブな情熱は、ほかの人達にも伝達してゆき、多くの人々を巻き込んで、感動を共有し、予想もしなかったような大きな事が実現可能になるのかもしれません。 人間の行う事なので、どうしても予定や計画通りに行かない場合もあるかと思います。 しかし、まず「チャレンジする」という事に大きな意味があるのではないでしょうか。

『「世界ふしぎ発見!」日本Xイタリア 天空浪漫飛行』 を製作してくださった斎藤龍太プロデューサーは、「取材をする中で、この飛行機プロジェクトが、ボナート氏と道原さんにとって非常に尊いものであることが分かりました。その情熱や気持ちが伝わる番組にしたいと思いました。」と言ってくださいましたが、そのような熱い気持ちで番組制作をしてくださったことに心より感謝いたします。

「東京ローマ間帰還飛行プロジェクト」が、夢とロマンと冒険を通じて、日本とイタリアの友好の絆を再確認してさらに深めるだけではなく、飛行ルートの通過国のみならず世界中の沢山の人々を巻き込んで、飛行機の歴史を再確認し、感動が共有できる国際文化交流と平和のプロジェクトになることを願ってやみません。

次回からは、フェラリン家の人々との交流について、書いてみたいと思います。

おわり


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