11月24日に放送された「世界ふしぎ発見!日本xイタリア 天空浪漫飛行」は、おかげさまで、関東地方で9,0%、関西地方では10,2%の視聴率があったそうです。
豊富にあるイタリアの魅力を、たくさんの切り口で紹介するとても楽しい番組構成になっていましたね。その中で、現在、北イタリアのバッサーノ・デル・グラッパにあるジョルジョ・ボナート氏の工場で、100年前のアンサルドズヴァ複葉機が再現製作されている紹介と合わせて、私のフィレンツェのアトリエでのインタビューの場面も放送されました。私はこの番組のイタリア取材&収録に際して、10月12日、13日、14日の3日間にわたり、フィレンツェ、ティエーネ、バッサーノ・デル・グラッパの3か所を同行させていただきました。
今年の5月31日に放送されたNHK朝のニュース・情報番組「おはよう日本」でも100年前のイタリアの飛行機の話題が取り上げられましたが、その中で私は「航空研究家」として紹介されていましたが、今回は、かろうじて「美術家」でしたね。(汗) 私の本業は「絵描き」です。(笑)
視聴率10%というのは、約一千万人の方々が視聴して下さったという事だそうです。
ご視聴下さった皆様、どうもありがとうございました!
2018年11月24日に放送された「世界ふしぎ発見!」
ジョルジョ・ボナート氏とミステリーハンターの依吹 怜さん
ジョルジョ・ボナート氏とミステリーハンターの依吹 怜さん
フェラリンへ渡された手紙や絵などの贈り物も、ご家族によって未だ大切に保管されています
さて、この番組の放送後に「ローマ東京間飛行」を成功させたイタリア人パイロット、
アルトゥーロ・フェラリンの伝記「世界への飛行」(Arturo Ferrarin, “Voli per il mondo”)
の日本語訳について、沢山の方からお問い合わせをいただいています。
1929年に出版されたアルトゥーロ・フェラリンの「世界への飛行」は、1928年に行われたフェラリンのもう一つの偉業「ローマブラジル間飛行」を共に成功させ、世界記録を樹立したのち、イタリアに凱旋帰国することなく、ブラジルでの飛行機事故で命を落とした親友のパイロット、カルロ・デル・プレーテに捧げられました。
実際は、ロドルフォ・プロッティという人がフェラリンから得た情報をもとに書いたものですが、パイロット一人称の視点で書かれているので、臨場感にあふれた記述になっています。この「世界への飛行」の前段の第3章から10章が、1920年の「ローマ東京間飛行」について充てられているのです。
この本は非常によく売れたらしく、違う表紙のバージョンが増刷されています。
私は、ムッソリーニの自筆献辞がまえがきに添えられている青い写真の表紙の1929年5月10日版と、フェラリンの没後*に出版された未来派的な絵が表紙になっている1942年2月10日版の2種類の本を持っています。*(フェラリンは、1941年7月11日、ローマ近郊のグイドーニアで試験飛行中の事故により46歳で亡くなりました)
実はフェラリンは生前に2冊本を出版しています。一冊目は1921年に自費出版した「私のローマ東京間飛行」です。兄のフェルッチョと弁護士ミケーレ・カラメッロによりまとめられたものですが、個人的な主観と詩的なファンタジーの要素が強く、こちらはあまり売れなかったようです。
親友のカルロ・デル・プレーテとフェラリン。表紙の青い写真は2人で1928年に成功させ世界記録を樹立した「ローマ-ブラジル間飛行」
この本は、イタリアに凱旋帰国することなく、ブラジルで飛行機事故により命を落としたカルロ・デル・プレーテに捧げるために出版された。ムッソリーニの献辞がついている。
私が、この本を日本語に訳そうと思ったきっかけは、2016年5月に複葉機再現プロジェクトの公式発表会のセレモニーの際にお会いしたアルトゥーロ・フェラリンの息子、航空工学博士のカルロ・フェラリン氏が、「世界への飛行」のうちの「ローマ東京間飛行」に関する3章から10章の部分を渡してくださり、日本語に訳すことを託して下さったからです
100年前の飛行機の世界について感情移入することは容易なことではなく、途中で何度かくじけそうになりましたが、カルロ氏に託されたからには、後には引けませんでした。しかし、訳し進めていくうちに、インディージョーンズの冒険譚のようなワクワクする面白さや、ロードムービーを見ているような臨場感あふれる描写に魅了されました。結果として日本語訳は、註釈も入れて400字詰め原稿用紙にして、約150枚の分量になりました。
史実が背景にあるので、この本に書かれている文章を訳すだけでは不十分なので、日本側の史料は友人たちに手伝ってもらいながら国立公文書館、宮内庁書陵部、外務省外交史料館、航空図書館、朝日新聞社、靖国神社の靖国偕行文庫 (靖国神社の遊就館にはフェラリンが載って来たズヴァ式複葉機が一時展示されていました)、などを訪問し調査して、資料を参照させていただきました。
イタリア側では、様々な出版物の他、アルトゥーロの弟アントニオの孫にあたるヴァレンティーナ・フェラリンさん(ミラノ大学での卒論をもとに評伝「アルトゥーロ・フェラリン “イル・モーロ”」を出版され、それについて国連本部で講演を行われたこともある) や、イタリア空軍アカデミー教授グレゴリー・アレージ氏にも色々ご教授いただきました。
余談ですが、調査する中で、私の実家のある広島県三次町(現在の三次市)に、イタリアの複葉機の通過を報告するための監視員が配備されていたことを示す資料を発見して、とても驚きました。
現在、「ローマ東京間飛行」の日本語訳を発表させていただく準備をしていますので、今しばらくお待ちくださいませ。
乞うご期待!